芸術と技術の掛け合わせ

デザイン思考テストなるものがある

 

就活をやるまで知らなかったが、これがそこそこ面白い

 

人、場所、どんなとき、の3つの要素を選択形式で自由に組み合わせ、それに対する想定されるニーズを考える

 

そして、そのニーズに応えるための技術やデータを5つくらいの選択肢から選び、具体的にどんなソリューションを提供するかを考えるものだ

 

とまぁ、すごく複雑だが、具体的に考えればわかりやすい

 

例えば、

目立ちたがり屋の芸人が

うるさい電車内で

静かに寝たいとき

 

みたいな状況を選択したとする

 

それに対して、

ボケつつもうるさいことを伝えて、静かな車内を作り出したい

というニーズがあ理想だと考える

 

そして、

言語を分析する技術

という選択肢を選ぶ

 

最後に、

うるさいという言葉を分析し、小ネタを作り出すという技術を使えば、ボケつつもうるさいことを伝えられる

みたいなことをまとめる

 

というのがデザイン思考テストだ

 

説明にかなり手間をかけたが、こんな感じで割と現実味のない状況だったり、技術の現実味がないものだったりと、無理矢理考えなければならないものも多いが面白い

 

しかし、解いたことがある人はわかると思う

 

芸術に技術を掛け合わせることの違和感というものを

 

芸術家の感性を技術で手助けする内容を書く人がいる

 

例えば、古い湖を状況に設定したときに、五感を分析する技術を使って、描きたい事象を言語化するとか

 

そんなことを言い出す輩がいる

 

まぁ悪いとは言わないよ

 

でも、芸術って単純な言語化が難しくも醍醐味であったり、感覚を的確に表現する感性が魅力であったりするものではないか

 

芸術においては、感覚をデータ化する技術はあまり好まれないような気がしている

 

自分は芸術に造詣がある人間ではない

 

かと言って、芸術が嫌いなのではない

 

表現することは苦手ではあるし、読み取るのもどちらかと言えば下手な方だろう

 

でも楽しもうという意思はある

 

その楽しみを、技術を用いることで殺してしまうのではないかと思う

 

デザイン思考テストを通じて、そのようなことを感じた

 

芸術家には、表現したい事象を分析する技術はいらないだろう

 

そんなものは唯一無二ではなくなる

 

個性を表せなくなってしまう

 

何を表したいのか、それを表現することこそが表現者の醍醐味なのではないか

 

何を表しているのか、それを読み取ることが鑑賞する者の楽しみなのではないか

 

技術は全て悪いものではないとも思う

 

技術を逆手にとって芸術にしてしまう人もいるくらいだ

 

だが、根本に技術が介入してはいけないように思う

 

そんなものがあっては、表現の意味がなくなってしまうような気がしている