お前がやっているのは言語化ではない
言語化について考え直させる出来事があった
社会人までに内定先が研修のようなものを用意してくれている
そこで、同期ともいろいろコミュニケーションをとっていて、言われたことがある
言語化の能力はもっと鍛えたほうがいいと
このブログは言語化の力を養うのも目的のひとつであった
その目的は永遠に達成されないのかもしれない
というのも、自分が考えていた言語化の能力は、社会に出てからは通用しないからだ
ただ自分の言葉で書くことが言語化ではなかった
少なくとも自分がこの先進む道ではの話だが
自分の進む先で必要になる言語化の能力とは、誰が読んでも、聞いても、見ても、齟齬なく同じ解釈ができる文章を表現するということであった
でも自分の思う言語化とは、感覚を感覚として言葉にすることだ
小説で使われるような、心情や風景など、細かな描写をそれ以上にない言葉で表現する力のことである
自分が思うに、両者には優劣があるものではなく、使い方によって輝いたりいらないと思われたりするものだと考えている
ただ、これから自分に必要なものは、万人が同じ解釈のできる文章を作る力だと思う
それを鍛える必要がある
正直意識するしかない
これまでに意識して思ったことはいくつかある
ひとつは、同じ解釈をしてもらいたいがために、詳細に長々と説明してしまうことが多いことだ
もちろん齟齬は生まれないが、生産性もそんな高くない
いやわかってるよってこともあるだろうし、もっと端的に説明できればいいなと思う
ふたつ目は、相手が理解してるかを見極めるのが難しいことだ
理解したか聞くのが1番だが、毎回そうするわけにもいかない
反応を見てわからない部分を見極める力がつけばいいなと思うが、鍛えられるものなのか
とりあえずちょっと意識してみる
そんなこんなで自分は言語化力を鍛えていくことになった