知ることの意味
知識だとか体験だとか
あるに越したことはないとは言われるものの、なんで?と思ってしまう
なんとなく知識はあった方がいいってよく人は言う
理由を聞くとそれっぽい話をしてくるが、なかなかしっくりこない
いつか使える時が来るだとか、話のネタになるだとか
正直言って、知っておいた方がいいと言われる程度の知識のひとつやふたつで業務が圧倒的に早くなるわけでもないし、上司との会話が弾むとも思わない
無難にみんなが知ってるようなショートカットキーと趣味について話せればそれで十分
じゃあなんで知識や体験はあるに越したことはないのか
先日、納得いく理由が得られた
それは、知識や体験があるのとないのでは、振る舞える行動のレパートリーも変わってくるからだ
この理由を知ったきっかけは、リーダーシップに必要な要素についての授業であった
リーダーシップがどうたら、リーダーがどうたらといろいろ話は進んでいく
もちろんみんながリーダーシップを持ち、みんながリーダーになれる素質を備えてることが大事ではある
だが、やっぱり得意不得意もあるのが現実
じゃあリーダーに向いてない人はリーダーになる要素を知らなくていいのか
それは違う
リーダーになる人がどんな力を持っているかを知っていれば、どうやって人を動かしてどう動いてほしいのかを知ることができる
リーダーにとっても自分にとっても行動しやすい、ウィンウィンの関係になれるんだ
そう言っていた
他の例でも、運転免許や飲食店経験がある
免許があるから普段の生活でも車に気を遣えるし、飲食店のバイト経験があるから店員に優しくしようと思える
別に義務ではない
でも取れる行動に差が出るし、ウィンウィンの関係も作りやすくなる
こんなハッピーなことはない
だから知識だとか経験だとかはあって損はないのだ
なんとも納得いく理由と例えだった
あるに越したことはないって器用貧乏な気がして好きではなかったが、悪くないなとも思える話だった