質問の強制は本当の疑問を生まない
大学でゼミに所属していた
まぁ興味がなかったりめんどくさかったりで辞めてしまったけど、得られることもまぁあったと思う
そのゼミでは毎授業1回は発言するという約束事が設けられていた
発言は感想でも質問でもなんでもいいのだが、できたら質問にすると言うなぞの風潮があったように思う
しかし、果たしてそれは本当の疑問と呼べるのか
まぁ普通に考えて本当の疑問とは言えない
質問を捻り出すことや、常に疑問を投げかけようと意識することは確かに大事だ
だが、主体的に取り組まないと、疑問の質も上がるわけがない
それは就活をやっていてわかった
就活を始めたてのころ、逆質問を聞いていてなんでそんなこと質問するんかなと不思議に思うことがよくあった
だけど、自分なりに考えて就活を進めていくうちに、似たような質問を投げかけたくなることが増えた
主体的に動いたからこその疑問は、やはり自分の身のためになる
本当の疑問は、強制されるくらいでは生まれないのだ
考えて行動しようと本気で思った
そうしないと、日頃のなぜなぜの質も上がらず、ろくな答えも得られないだろう
まだ本気度が足りないのだろう
これからだ