無能を自覚すれば無能じゃなくなるのか
どこぞのひろゆきという人が話している理論
無能を自覚してるだけマシ
本当の無能は無能を自覚していない
みたいなやつ
この理論が蔓延してしまうと、
「自分は無能だけど自覚してますよ」
みたいなネガティブなポジティブを全面に出そうとしてくる人が増える
もちろん無能より無能を自覚している人の方が良いわけで、その点で異論はない
でも、とりあえず自分は無能を自覚してますと言うような、保険をかけてるような人が多くなっているような気がする
無能というレッテルをバリア扱いして、無能だからしょうがないよねという、妥協点を作り出そうとしている感がある
なんというか、「ADHDだからしょうがないよね」とか、「鬱だからしょうがないよね」と似た匂いを感じる
そうやって無能を正当化することが、無能を自覚することになるのかは疑問である
「無能だと自覚したからじゃあどうするべきなんだろう」、までが無能を自覚することなんじゃないのかなと思う
無能だからやらなくても許される、というわけではない気がしている
「自分は無能です」まででは足りないような気もする
あくまで自分の感想です