自分の言葉で表現すること
最近になって映画のレビューを再開した
再開と言っても、ただサボっていたものを久し振りに更新しようと思っただけのことだけど
映画や本のレビューをするたびに思う
もっと自分の言葉で、ありきたりではなく、でもしっかりと伝わって心を揺さぶることができる文章を書きたいなと
語彙力の話でもあるが、どちらかというと中身の話だ
やはり今まで自分の言葉で思ったことや自分の感情を表現した経験が少ないことが理由だろうと思ってしまう
過去の自分を振り返ってみる
自分の言葉で書いた経験で印象深いものは、小学校で書いた読書感想文だろう
印象深いものが小学校の自分まで振り返らないと出てこないのは悔しいことであり、でも納得いくことでもある
というのも、小学校とそれ以降では「正解」という軸で違いがあるからだ
小学生の書く読書感想文には正解がない
先生が求めるものも、自分で決める正解もない
書いたものが自分の感情で、ありのままの表現なのだ
でも、中学生以降、なんなら小学校高学年くらいからは、先生の求めるものを書こうとしたり、自分の中で勝手に正解を決めつけて、ありのままではない見かけの感情を書くことが増えた気がする
教科書にある文章を読んだ感想で、先生はこんな感想を求めてるんだろうなと思ってしまう
こんな感情を抱くのが普通なんだろうなと、見かけの感情を自分の中で作り出して表現してしまう
そうやって素の感情は消されていってしまう
そして、このような習慣ができてしまって、自分の言葉で、ありのままの表現をすることができない大人になってしまうのかなと思った
素の感情を書き散らしてこないと、心に突き刺さる、唯一無二の語彙は得られない
でも、今からでも自分の言葉で書く練習はできるし、突き刺さる語彙を獲得することができるのではないか
それを、このブログを通じて証明するのも、このブログを書き続ける意義になる気がしてきた
これからも自分の言葉でブログを書き散らしていこうと思う