人生の正解とは
今まで数え切れないほどのテストを受けてきた
小学校での満点当たり前のテストから、人生を賭けた大学受験まで
難易度こそ様々だったが、どれも正解が存在した
特に数学なんて顕著だ
数字が合ってるか間違ってるかで、正解か不正解かははっきりとわかる
国語なんてものは何かと屁理屈を言っては正解と言い張ろうとするので厄介だが、一応論理的に正解と言える答えが存在する
では、人生の正解とは何なのだろうか
周りにいる人間は正解の人生を歩んでいるのか
歴史に残る偉人の人生は正解だったのか
歴史に残る嫌われ者の人生は不正解なのか
元も子もないことを言おう
自分次第である
正解かどうかを判断するのは自分である
判断軸は自分で決めるのだ
抽象的な軸でも、具体的で定量的な判断軸であってもいいだろう
自分ならどうだろうか
まだ大学生の若造ではあるが、自分なりの、今のところでの正解となる判断軸はある
死ぬときに後悔しないかどうか
ここで問題が発生する
後悔は結果論だと言うことだ
今を生きる自分にとって、今このときが後悔という感情を掻き立てる原因になり得るかはわからない
高校で部活動をやっていて、ひとつひとつの行動を必死にやっていても、結果がついてこなければ必死にやった行動は後悔の原因になる
もっと良い行動ができたのではないか
そう思ってしまうのは、行動の後の結果が出たときである
だから、死ぬときに後悔しなければ正解の人生というのは、不可能な目標を設定しているようであまり美しくない
ではどうすれば良いだろう
後悔を受け入れられるかどうか、ではないだろうか
自分なりに整理した結果、これが正解の判断軸だと思う
あのときこうしておけば良かった
でも、自分でその時は納得して選んだ行動だからしょうがないか
そうやって割り切れるなら、人生を全力で走り切ったと言えるのではないか
結局、今でも正解はわからない
もしかしたら、明日にでも正解の判断軸は変わっているかもしれない
でも、考えることで目指すべき道は、その時々でしっかりと定まっていく
今思う正解に向かって走っていくのだ
違うと思えば方向転換すればいい
正解を求め続けること
正解を探し求める人生こそが、実は正解なのかもしれない