雨の日はなぜ生産性が下がるのか

今週のお題「雨の日の過ごし方」

 

なんでも良いからなぜと問うという取り組みを始めて1日目

 

早速詰みかけている

 

本当になぜを問うことが苦手なことに気づいた

 

だからお助けでお題に力を借りた

 

なぜ雨の日は生産性が下がるのか

 

雨の日の過ごし方なんだろうと思ったが、用がなければ基本は家にいることくらいしか思いつかない

 

家に引きこもってるからにはやることを終わらせようとするけど明らかに生産性が低い

 

なぜだろうか

 

そもそも生産性とは何かという話から入る

 

生産性って効率と似ているような気がするがちょっと違うのかな

 

行動とそれに対する結果がどれくらいなのかなというものが生産性

 

そのうちの行動は時間と内容に分けられてると思っていて、少ない時間で結果を出すとき効率が良いと言えるのではないか

 

まぁ何かに取り組む時を前提に話しているので、時間だけじゃなくてモノとかについても含められて、少なければ効率いいよねとなると思う

 

とまぁそんなものでとにかく雨の日は生産性が低い

 

その理由はやっぱり効率の悪さにある

 

効率の悪いのは恐らく時間も内容も雑魚だからだと思う

 

それが雨とどう関係しているのか

 

精神論みたいになるが、普通に憂鬱になるのだろう

 

それで一つのことをやるにも時間がかかってしまうのではないか

 

少なくとも晴れの日よりは気分が良くないと思う

 

内容もたぶん頭が働いてないから良くない

 

朝日を浴びると脳が活性化されるみたいなことを聞いたことあるのでたぶん間違いない

 

雨の日はやっぱり生産性が悪い

 

太陽がないだけで変わるものなのだ

 

持論だが

ほぼ1週間ぶりの更新

1週間も更新してないのになぜこんなにもこのしょうもないブログにアクセスしくれてるのだろうか

 

というか毎日更新してたときよりも読んでくれとるやないか

 

バズる記事を書いてるわけでもないし、増える要因が見つからない

 

強いて言うなら「こいつ投稿しないから過去の記事でも読むか」みたいな思考でもしてるのだろうか

 

どうせなら週1の投稿にしてやろうかな

 

ってのは嘘で、普通に投稿再開します

 

投稿してなかったのに理由はない

 

強いて言うなら他のことをやっていて日付が回り、まぁいっかみたいな行動を1週間近く繰り返してただけだ

 

まぁ久しぶりの投稿なので意気込みでも語ろうと思う

 

意味わからん論理だけど許してほしい

 

ズバリこれからの方針は

 

毎日何かしらになぜを問い、それに対する自分の答えを投稿する

 

です

 

余談?だけど、このブログは自己満足のためであって書く力とか論理とかを整理したいからやってるもの

 

読んでもらうことは言ってしまえば二の次、だけど読んでもらえて普通に嬉しいです

 

とまぁ余談は置いといて、なぜこんなことをやろうと思ったのかと言うと、普通に思考力が足りないことに気づいて、身につけないとなぁと危機感を覚えたからなんです

 

以前も記事にしたと思うが、なぜを問うことは思考力が鍛えられると思っている(証拠はない)

 

でもなんとなく意識するだけだと変わらないので、定量的に目標を作って行動に移そうと言う魂胆

 

だからとりあえず意味があるのかはわからないがやってみます

 

Twitterでは毎日10個の疑問と答えを作るって書いたのだけど、ここに書くのは1個だけにしとく

 

暇だったらTwitterにも残りの9個を呟くかもしれない

 

がんばろう自分

 

ちなみに今日の記事もちゃんとなぜを問い、自分なりの答えを導き出しています

 

正解かどうかは問題ではない

突然の迷走

大一番が終わった

 

いや正確に言えば終わってないのだけど、一区切りついたとでも言うべきだろうか

 

頑張っていたからこそ、終わってからの何やればいいんだろう感が突然押し寄せてきている

 

何やればいいんだっけ

 

まぁいっか

 

なんでもいいから行動した方がいいよな

 

考えずになんかやろう

危うくまたサボるところでした

サボりがちである

 

日付が変わる10分前に気づき、質の低い記事を書く

 

まぁそれでも更新に意味があると思ってとりあえず書く

 

更新してないやつが言うセリフではないな

 

でも一応そう思ってる

 

とりあえず更新

気がつけばサボっている

ブログの話です

 

気が付いたら日付変わっていて、記事を書く気力をなくしている

 

その前に書けよと言われたらその通りなのだが、普通にレポートとかやってると忘れてしまう

 

まぁ日常が充実している証拠

 

この調子で頑張っていこうと思う

話を広げる要素

安住アナウンサーだったと思う

 

最近ヘビが脱走してしまったという話題に関する話をしていたときのことだ

 

脱走してしまったヘビの体長は3.5メートルほどらしい

 

これに対して安住アナは

 

「大人の男性2人分くらいですね、ちなみに元バレーボール選手の川合俊一さんの最高到達点は3メートル46センチということで、それよりも長いですね」

 

たわいもない会話だったけど、このどうでもいいようで話を弾ませる一言って結構大事な気がする

 

ちょっとした雑学みたいなものだろうか

 

その一言で話題は広がるし、おもしろさもある

 

雑学結構ほしいなと思った瞬間だった

「諦めたらそこで試合終了」で集合と命題を語る

久しぶりにこの話題をする

 

勝手に集合と命題をわかりにくく解説する企画

 

まぁシリーズ化するつもりはなかったんだけどいい素材があったので勝手にシリーズ化

 

第1回は太宰治の名言「本を読まないということは、その人が孤独でないことの証明である」を題材にした

 

リンク貼ってPV数稼ぎしとききます↓

本を読まないということは、その人が孤独でないことの証明である - amsorky’s notes

 

前回同様、今回も言葉遊びしていきます

 

とりあえずちょっとでもわかりやすくするために、この名言を「Aさんが諦めたならば試合は終わっている」という命題に書き換えておく

 

この書き換えが本質を捉えてるかどうかは指摘しないでいただきたい

 

じゃあ本題に入ります

 

この命題が正しいとかの判断はできないのでとりあえず対偶取ってみる

 

センター試験っぽいね

 

あ、ジェネレーションギャップ感じちゃうな

 

ってのは置いといて黙って対偶取ります

 

対偶は「試合が終わってなければ、Aさんは諦めていない」

 

これは真偽を決められるものなのだろうか

 

がんばれAさん!!!

 

とだけ言っておこう

 

まぁあえて真偽を決めるなら、試合が続いていれば大抵の人は諦めていないと思うので、対偶は真と言っていいのではないでしょうか

 

だから「諦めたら試合終了」も真ですね

 

諦めずに頑張りましょう

 

じゃあ逆と裏も取ってみます

 

逆は「試合が終わっていれば、Aさんは諦めている」

 

裏は「Aさんが諦めていなければ、試合は終わっていない」

 

裏はちょっとわかりにくいですね

 

でも逆は真であると言えそうです

 

試合が終わってたらどうしようもないからね

 

すると、裏は逆の対偶なので真と言えます

 

諦めていなければ試合は終わっていない

 

人生は諦めなければいつまででも挑戦できるみたいな感じでカッコいいですね

 

前回よりもいい感じの話ができた気がします

 

人生諦めなければなんでもできるみたいな

 

深いようで浅い

 

やっぱりオリジナルの「諦めたらそこで試合終了ですよ」が1番しっくりくる

 

名言は偉大だ